本書『他者の靴を履く』は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の副読本として、「エンパシー」についてより深く掘り下げて語られている本です。
2019年に出版され話題となったブレイディみかこ氏の著書『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』。
その中で言及した「エンパシー」という言葉に注目が集まり、そのうち『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』は「エンパシー本」とさえ呼ばれるようになったといいます。
なぜ本の中でわずか4ページしか出てこない「エンパシー」という言葉にそれほど注目が集まったのか。
ブレイディみかこさんは次のように考察しています。
「共感ではない他者理解があるよな、ということを前々から感じていた人が多く存在し、それを言い表せるキャッチーな言葉がなかったところに、「エンパシー」というカタカナ語が「誰かの靴を履く」というシンプルきわまりない解説とセットになって書かれていたので、ストンと腑に落ちた人が多かったのではないか。
『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』を引き継ぎ、「エンパシー」についてより深く語られている本書を自分なりに要約してみました。
『他者の靴を履く』から学ぶエンパシーとはなにか
著者のブレイディみかこさんは「エンパシー」を次のようなものだと語っています。
自分を誰かや誰かの状況に投射して理解するのではなく、他者を他者としてそのまま知ろうとすること。自分とは違うもの、自分は受け入れられない性質のものでも、他者として存在を認め、その人のことを想像してみること。他者の臭くて汚い靴でも、感情的にはならず、理性的に履いてみること。
このように定義したうえで、エンパシーは人間にとって必要不可欠なものであり、人間同士が助け合うことを可能にするものと考えています。
エンパシーとは他者の靴を履いてみること?
なぜブレイディみかこさんが『ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー』の中でエンパシーを「他者の靴を履く」と表現したのか。
それはイギリスの公立中学校に通っている息子さんからの影響です。
息子さんは、学校のテストでエンパシーとは何かという問題が出された際、英語の定型表現「To put yourself in someone’s shoes」を使い「自分で誰かの靴を履いてみること」と答えたそうです。
エンパシーとシンパシーの違いとは
エンパシーと似た言葉にシンパシーがあります。
エンパシーとシンパシー、日本語になるとどちらも「共感」と訳されてしまいますが微妙にその意味合いは異なります。
著者が英英辞典で言葉の意味の違いを確認したところ、以下のように解説されていたそうです。
エンパシー・・・他者の感情や経験などを理解する能力
シンパシー・・・
- 誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと
- ある考え、理念、組織などへの指示や同意を示す行為
- 同じような意見や関心を持っている人々への間の友情や理解
『Oxford Learner’s Dictionaries』のサイト oxfordlearner’sdictionaries.com より)
大きな違いはエンパシーは能力なので身につけるものであり、シンパシーは個人の内なる感情に基づいているということ。
また対象の定義を見ると、エンパシーは制限や条件はなくかかる言葉は「他者」のみ、それに対してシンパシーは「かわいそうな人」、「問題を抱える人」、「考えや理念に共感できる人」、「同じような意見や関心を持っている人」にかかるという制約がついています。
つまり、シンパシーはかわいそうだと思う相手や共鳴する相手に対する心の動きや理解やそれに基づく行動であり、エンパシーは別にかわいそうだとも思わない相手や必ずしも同じ意見や考えを持っていない相手に対して、その人の立場だったら自分はどうだろうと想像してみる知的作業と言える。
著者はエンパシーの語訳に「ability(能力)」という言葉が反映されていないのは奇妙であり、日本語の定訳をいつまでも「共感」という表現にしておくのは問題なのではないかと言っています。
とはいえ、実は英語圏の国々でもエンパシーの定義は論者によって異なり、1つの定義だけに留まるものではないそうです。
エンパシーはダメ?それとも大事?
本書には感情的に他者に共感するのは危険だと言う意見が紹介されています。
ポール・ブルームは著書『反共感論―社会はいかに判断を誤るか』で感情的に他者に入り込むと状況の判断が理性的にできなくなるので、エンパシーは「善」ではないというアンチ論を唱えました。
これは感情的に他者に入り込むと危険、といっているのでどちらかというとOxford Learner’s Dictionariesでいうシンパシーに対するアンチ論といえます。
しかし、ポール・ブルームは誰かの靴を履くこと自体も危険だと主張しています。
誰かの靴を履くこと、それは特定の人物に焦点を当てすぎていて、社会全体が良い方向に進む改革を実現するにあたっての障害になると論じた。人間は身近な人の靴は履けても、顔が見えない人の靴はあまり履こうとはしないものだ、と。
一方、ジャーナリストのニコラス・クリストフは、エンパシーこそが社会に必要なものだと主張し、以下のように言っています。
貧困に陥る人の靴を履いてみれば、「貧困は自己責任だ」とか「社会に貧しい人がいるのはしかたがないことだ」というのは自らの偏見や先入観による認識のゆがみだったことがわかり、その気づきが思いやりのある行動に繋がる
つまりエンパシーは各人が持つ偏見や先入観をはずすことであり、それこそが多様性を認め合うことのできる社会に繋がるという意見です。
両者の意見は正反対のようでいて方向性は一致しています。
両者とも「外して、広げろ」と言っているのです。
「エンパシーはダメ」論は対象を絞らずに外して視野を広げろと言っている。
「エンパシーは大事」論は偏見や先入観を外して考えを広げろと言っている。
「外して、広げろ」がキーワードのようだと本書では考察しています。
他者の靴を履いて”しまう”ミラーニューロンの働き
人間はミラーニューロンという神経細胞をもっていて、その働きによって、自分が見た他者の行為を脳内であたかも自分がしているかのように「共鳴する」ことができるといいます。
他者が行うことを見ながら、自分も脳内で同じことを疑似的に行っているとすれば、人間は意識せずとも他人の靴を履いているのかもしれません。
しかし、それは「他者も自分と同じように感じる&考える」ことが前提になっています。人の好みや性格は様々に異なるのに。
ブレイディみかこさんはこのことの危険性を次のように語っています。
分かった気になることによる弊害が引き起こす問題は、まったく他者のためにならない方向に行く可能性もある。自分自身を他者に投影するということは、他者を「自己投影するためのオブジェクト」としてしか見なさないことにもなり、自分自身から「外れる」どころか他者の存在を利用して自分を拡大していることになる。
大切なのは自分を手放さないということ
他者の靴を履いてみるうえで大切なことは、自分自身を手離さないことだと本書で語られています。
瞬時にわきあがってくる同情や共感や反発といった感情に振り回されるのではなく、理性的に他者と距離を保ちながら、自分の靴を脱いで他者の靴を履いてみることが大事なのだと。
自分は自分。他者とは決して混ざらないと言うことである。その上で他者が何を考えているかを想像、理解しようとするのだ。
エンパシーを発揮して自己理解する
本書ではエンパシーは必ずしも他者理解のためだけの能力ではなく、自己理解にこそ有益なのだと論じています。
自分の気持ちや考えを理解するということは意外と難しい。しかし、他者の経験や考え、感情をシェアしているうちに、自分が感じているのもこういうことじゃないのかと気づくことがあると言うのだ。これは読書や映画鑑賞の経験が人間に与え続けてきた気づきだろうし、他者を演じることによって自分の感情も理解できるようになると言う演劇教育のコンセプトにも繋がる。エンパシーは利他的だと思われがちだが、やはり利己的なのである。他人のためと言うより、自分のために要る能力なのだ。
ここではない世界は存在すると信じられなければ、人は今自分が生きている狭い世界だけが全てだと思い込み、世界なんてこんなものだと諦めてしまう。そうなれば、人はあらゆる支配を拒否することなどできない。
アナーキーがなければエンパシーが闇落ちするのと同じように、エンパシーがなければアナーキーも成立しないのだ。
感想、まとめ
『他者の靴を履く』を簡単に要約してみました。
実は簡単には要約できないほど、もっと広く深くエンパシーについて語られています。
自分なりに解釈すると、エンパシーとは共感力というより想像力に近いような気がしました。
横文字が多く、英語ネイティブではない私には理解が難しいところもありましたが、知的好奇心をくすぐられるとても面白い本でした。
コロナ禍でのイギリスの状況にもたくさん触れられていて、遠い国の市民生活に思いを馳せるきっかけにもなりました。
他者の靴を履いて、自分とは全く違う環境で生きる人についても想像してみること。
そして自分ができることがあればやってみること。
それは他者のためでもあり、自分のためでもあるんですよね。
最後に余談。
「他者の臭くて汚い靴でも、感情的にはならず、理性的に履いてみること」という文章を書いている時に、なぜか「他者の臭くて汚い足でも、感情的にならず、理性的に嗅いでみること」と間違い、ひとしきり笑ったりして…。
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